過去の世界へ
今はないけれど・・・・
記憶の中に生きているうどん屋さん
そのお店は,高松市の扇町からJR高徳線を跨いで北側の讃岐浜街道の方へ渡る陸橋の側にありました。右へ曲がれば,浜の町の蓮華寺,そして,左へ曲がると"えびすうどん"があったのです。 某讃岐うどん本によると「馬でも残す」という,大盛りのぶっかけうどんにHDSEDが挑んだのは,2回,しかし,店主が聞き違えたのか,2回とも運ばれて来たのは"中"でした。この"中",他のお店の大盛りよりもはるかに大盛りな上,たまごやら,しいたけやらやたらと具も多いという代物です。もちろん,お味も讃岐うどんに対する期待を裏切るものではありません。食べ終わった後,店主のおじさんが「どや」みたいな顔でにんまりしていました。 もしかしたら,実力のない人が食べ残したらもったいないので常連さんにしか"大"は出さないのかなぁ・・・と思っていたらいつのまにか"えびすうどん"は閉店してしまいました。あの味とあの量で商売をし続けるのはきつかったのでしょうか。今でも,何かの用事で讃岐浜街道を通るときは,"えびすうどん"がまた開いていないかなぁとお店のあった辺りをながめるHDSEDでした。 |
讃岐うどんの名店として今でも話題にのぼるという久保製麺所。高松に長いこと住んでいる人ならたいがい知っている番町の簡易保険局の煙突のすぐ北側にありました。跡取りがいないとかで5年ほど前に廃業してしまいました。久保製麺所を懐かしがる人が少なくないため,2〜3年前に通信販売で少しだけ復刻されたこともあります。 HDSEDは,小さい頃,久保製麺所の近くに住んでいたので,ここのうどんをよく食べていました。当時は,一玉5円で,50円玉を持って行って10玉買います。それを家族5人で分けて食べるのです。晩ご飯のために買いに行くときは,お駄賃代わりに「昼ご飯を久保製麺所で食べてもいいよ」と余分にお金をもらいました。お品書きは,かけうどんとゆだめうどん。"大"か"小"かを選んで予算に余裕があるときは,コロッケや天婦羅(薩摩揚げのことです),えび天(えびを殻ごと練りこんだオレンジ色の薩摩揚げのことです)を乗せます。 昼食時のお店の中は,いつも,おじさんたちでいっぱい。役所の人やら,大学の先生やら,工事の人やらが長細い木でできた机と背もたれのないベンチが並べてあるだけの部屋でみんな,ふうふう言いながら食べていました。(当時は,扇風機ですら贅沢品だったのです)もちろん,製麺所ですから,うどんを伸ばしたり,切ったり茹でたりしているのを見ることもできます。HDSEDは,名店と言われるところのうどんを標準として食べて育ち,その工程の一部始終を見て育ったのです。 |
カレーうどん(大) \390 うどん=ふつう ねぎ=ふつう あまり並ばない |
2012年11月を持って閉店しました。 40年以上の歴史があり,セルフサービスのチェーンを展開するうどん屋さんの先駆者の一つとして有名でした。一時期は,香川県のあちこちに支店を作り,地元でよくTVCMを流していたのですが・・・。 ♪かっなっいっずっみ〜♪ のCMで,うどんといえば,金泉のイメージだったのですが,讃岐うどんブームによって他の選択肢があることにみんなが気づいてしまった・・・そこに,外来のうどんチェーン店の侵攻・・・涙・・・です。 カレーうどんがおすすめ。多くのカレーうどんが和風の甘〜いカレーうどんである中,ここのは,ハードで(あくまで個人的にですが)個人的に好みでした。
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肉ぶっかけうどん(温) ¥580 大は ¥150UP 他におでんやかやくご飯ありました。 うどん=太い ねぎ=太い 注文を受けてからうどんをゆでる |
2007年11月より,店主が中国で修行中。5年たったら帰ってくると言うことでしたが・・・帰ってきません。 平成の大合併で灘崎町も岡山市になってしまいました。で,この灘崎町でがんばっていたのがここ嘉平うどんです。 ご主人は,ときどき香川県に渡って研究に努めていたのでうどんの方もまずまず。また,きつねうどんやざるうどんといったスタンダードなうどんの他に不定期で変わったうどんがメニューに加わるのが楽しかったです。 入り口に入ってすぐのところの他に奥の座敷で食べることもできました。 高松のうどん屋さんに比べると高いのは否定できませんが,岡山から高松に渡る運賃を考えるとリーズナブルと言えるかも・・・。 |
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高松市郊外および西讃 |
岡山県 |
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